【タイムスタンプ】
00:00 態勢完了スタート
01:11 前半1000m
02:15 最終コーナー
02:25 最終直線
【優勝:グラスワンダー】
アメリカ生まれの帰国子女。 両親ともども和の文化に憧れて育ったため、生粋の大和撫子になった。 物言いはほのぼのと柔らかいが、芯は強く、心の奥底には何事にも負けまいとする確固たる意志を持つ。 親友エルコンドルパサーとはルームメイト。
https://umamusume.jp/character/grasswonder
1997年 京成杯3歳S (G2), 1997年 朝日杯3歳S (G1)
1998年 有馬記念 (G1), 1999年 京王杯スプリングC (G2)
1999年 宝塚記念 (G1), 1999年 毎日王冠 (G2)
1999年 有馬記念 (G1)
https://db.netkeiba.com/horse/1995107393/
ウマ娘プリティーダービー(公式)ゲーム
https://umamusume.jp/contents/game/
ウマ娘プリティーダービー(公式)アニメ
https://anime-umamusume.jp/
ウマ娘 プリティーダービー ROAD TO THE TOP
https://umamusume.jp/contents/anime/roadtothetop/
劇場版『ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』
https://movie-umamusume.jp/
アニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』
https://anime-cinderellagray.com/
【レース】
1997年12月26日
中山 芝2500m
晴 良
9R 有馬記念 G1
【結果】
1着 グラスワンダー / 的場均
2着 スペシャルウィーク / 武豊
3着 テイエムオペラオー / 和田竜二
【実況】
フジテレビ系列版
「最後はやっぱり最強の2頭!」グラスワンダーvsスペシャルウィーク《有馬記念1999》
ラジオたんぱ版 (JRA)
1999年 有馬記念(GⅠ) | グラスワンダー | JRA公式
【再現度】
星3:★★★☆☆
1995年
2月18日、アメリカのフィリップス・レーシングの生産牧場で生まれた。
1996年
9月、キーンランドで行われたセリ市に上場され、同行していた尾形充弘の勧めで伊東純一(㈲半沢の社長)が入札。アラブ首長国連邦のゴドルフィンとの競り合いの末、㈲半沢が25万ドルで落札した。
11月、日本へ輸送され、ノーザンファーム空港牧場(苫小牧市)で育成・調教が行われた。
1997年
9月13日、的場均騎手を鞍上に中山競馬場の新馬戦(芝1800m)でデビュー。単勝1.5倍の1番人気でスタートでやや立ち後れものの、すぐに先団にとりつき2番手を追走して直線で抜け出し、2着に3馬身差をつけ初勝利。
10月12日、アイビーステークス(オープン)では2着に5馬身差をつけ、レコードタイムに0秒2差の1分21秒9で勝利。
11月8日、京成杯3歳ステークス(現・京王杯2歳ステークス)(GⅡ)では単勝1.1倍の1番人気。レースでは2番手追走から直線で独走、的場は何度も振り向き後続を確認する余裕すら見せ、2着に6馬身差で重賞初勝利を挙げた。
12月6日、朝日杯3歳ステークス(GⅠ)では単勝オッズ1.3倍に支持された。出走メンバーにはのちにスプリンターズステークスを勝つマイネルラヴ、函館3歳ステークスを制したアグネスワールドらがいたが、中団やや後方を追走すると、第3コーナー過ぎからスパートをかけ、2着マイネルラヴに2馬身半差をつけて完勝。勝ちタイム1.33.6は1990年のリンドシェーバーが記録したレコード1.34.0を0秒4更新、3歳馬初の1分33秒台のタイムだった。この勝利はフジテレビで実況した三宅正治アナウンサーが「マルゼンスキーの再来です!」と実況するほどだった。
1998年
1月、1997年度のJRA賞最優秀3歳牡馬に選出。3歳馬ながら年度代表馬投票において得票数10票を獲得。調教を再開したが、歩様に乱れが生じた。
3月15日、右後脚の第3中手骨を骨折していることが判明。NHKマイルカップ(GⅠ)出走は断念することとなった。
8月22日、美浦トレーニングセンターへ帰厩。毎日王冠(GⅡ)での復帰を目指すこととなったがエルコンドルパサーも出走を予定しており、的場は選択を迫られた。グラスワンダーが万全でないため尾形調教師も「エルコンドルパサーに乗ったらどうか」と促していたが、グラスワンダー騎乗を決断した(エルコンドルパサーはこの後蛯名正義が引退まで騎乗)。
10月11日、毎日王冠に出走。2番人気に支持されるがサイレンススズカの5着に敗れる。
11月7日、アルゼンチン共和国杯(GⅡ)は1番人気に支持されるがユーセイトップランの6着に敗れる。ジャパンカップ(GⅠ)出走は回避となった。
12月27日、有馬記念(GⅠ)に4番人気で出走。前年の年度代表馬エアグルーヴ、前年の有馬記念馬シルクジャスティス、同年の天皇賞(春)を制したメジロブライト、そして同年代の皐月賞・菊花賞を制したセイウンスカイが相手となった。レースは中段で待機し、3コーナー中間より徐々に順位を上げ、最後の直線で抜け出し2着メジロブライトを2馬身退けて快勝。史上初の外国産馬による有馬記念制覇だった。
1999年
3月14日の中山記念(GⅡ)で始動の予定だったが、右肩筋肉痛で回避。
4月4日の産経大阪杯(GⅡ)に出走予定だったが、直前になって左眼下に裂傷が見つかり、治療のため回避。
5月15日、京王杯スプリングカップ(GⅡ)から始動。1年半ぶりのスプリント・レースだったが1番人気に推され1着。
6月13日、安田記念に出走。1番人気だったが、前走で負かしたエアジハードに敗れ2着。
7月11日、宝塚記念に出走。天皇賞(春)(GⅠ)を制したスペシャルウィークが1番人気、グラスワンダーは2番人気。最終直線でスペシャルウィークを3馬身突き離し完勝した。
10月10日、休養明けで毎日王冠に1番人気で出走。ゴール前、メイショウオウドウに詰め寄られたが3cm差で1着。ジャパンカップに向け調整が進められたが、左脇腹筋肉痛により回避となる。
12月27日、連覇のかかる有馬記念に出走。スペシャルウィークと人気は伯仲。僅差でグラスワンダーが1番人気となる。ツルマルツヨシの手応えが良かったため予定よりも早く仕掛けることとなり、グラスワンダーを徹底マークしていたスペシャルウィークにゴール前で差されたかと思われた。スペシャルウィーク鞍上の武豊もウイニングランをする程だったが、写真判定では4cmグラスワンダーが先着していた。史上2頭目のグランプリレース3連覇(3連勝)と史上6頭目の同一年両GP制覇を達成。
しかしグラスワンダーは極めて状態が悪く、歩様の乱れが収まらなかった。デビューから厩務員を務めていた大西美昭が定年で引退し、当時24歳の佐々木力が担当となる。
2000年
1月、1999年度のJRA賞では年度代表馬、最優秀5歳以上牡馬部門の得票数でグラスワンダー、スペシャルウィーク、エルコンドルパサーの3つ巴となり、選考委員会の協議の結果エルコンドルパサーが受賞。グラスワンダーとスペシャルウィークには特別賞が贈られた。外国産馬に門戸が開かれる天皇賞を目標に現役続行となる。
3月26日、日経賞(GⅡ)で始動。1番人気に推されるが、馬体重530kgと絞れていなかった。レースでは良いところなくレオリュウホウの6着に敗れる。天皇賞(春)への出走は白紙に戻され、宝塚記念を目標に調整が行われる。
5月14日、京王杯スプリングカップに1番人気で出走するが、スタートで出遅れ、スティンガーの9着に敗れる。的場はグラスワンダーから降ろされ、宝塚記念では蛯名正義が騎乗することになった。
6月25日、宝塚記念に2番人気で出走。第3コーナーまでは快調だったが失速し、テイエムオペラオーの6着に敗れる。レース後、蛯名が下馬。馬運車で運ばれて行った。左第三中手骨骨折と診断された。重傷だったため、経過観察のため阪神競馬場に2週間留まった。
7月23日、本格的な治療のためノーザンファーム空港牧場へ輸送された。命の危険もある状態だったが症状は改善した。
12月24日、中山競馬場で引退式が行われた。
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ちゃんとスペがウイニングランしてる