※旧年齢表記です。
~目次~
00:00 タニノムーティエ安田伊佐夫
03:45 ヒカルイマイ田島良保
07:28 ロングエース武邦彦
11:02 タケホープ嶋田功
14:42 コーネルランサー中島啓之
18:19 カブラヤオー菅原泰夫
21:36 クライムカイザー加賀武見
24:56 ラッキールーラ伊藤正徳
28:07 サクラショウリ小島太
31:39 カツラノハイセイコ松本善登
日本ダービー1970
日本ダービー1971
日本ダービー1972
日本ダービー1973
日本ダービー1974
日本ダービー1975
日本ダービー1976
日本ダービー1977
日本ダービー1978
日本ダービー1979
東京優駿1970
東京優駿1971
東京優駿1972
東京優駿1973
東京優駿1974
東京優駿1975
東京優駿1976
東京優駿1977
東京優駿1978
東京優駿1979
競馬
g1
horse racing
懐かしいです。
私は1970年の末から興味を持ち始めて、翌年からテレビ観戦してました。
そしてメジロムサシが古馬になって大活躍し、ヒカルイマイの3冠も期待していましたね。
ハイセイコーはとても残念でしたが、初仔のカツラノハイセイコが見事に父の無念を晴らしてくれて、
競馬のドラマチックさに魅了されました。
特に好きな馬は、アローエクスプレス、メジロムサシ、ロングホーク、ハイセイコー、テンポイントですが、
他にもたくさん好きな馬はいました。惜しくも敗れてしまった馬が多いですが…。
連勝馬番式になる前の日本ダービーは、最大28頭立て。「係員がサーッと離れました!」が鳥居アナ・盛山アナ時代の実況定番フレーズで、壮観でしたね。(スタートゲート導入前は、なんと30頭超の大馬群でしたが、さすがにその時代(1960年頃まで?)は白黒のフィルム映像でしか知りません)
最初のタニノムーティエのレースでは、出走した馬の名前がどれも粋な感じで、鳥居アナの小気味よい実況に乗って心地よく響きます。翌年のヒカルイマイの追い込み(翌日の新聞見出し「大外から電光!」)、72年の3強鍔迫り合い(4~6着のハクホオショウ、ランドジャガー、イシノヒカル含めて「6強」だった説も)、73年ハイセイコーのまさかの初黒星、馬券初挑戦で2-5をゲットした74年、菅原騎手とカブラヤオー、テスコガビーがすべてをさらった75年の春・・・どれも思い出深いです。ありがとうございました。
自分は、森安兄弟のファンでした🎉3戦3勝でダービーに出走したアイアンモア🎉確かこのダービーを最後に出走していません😢どうこの後していたのかなぁ?
○1970年、スタートの際、11番のタニノモスボローのゲートが開くのが一瞬遅れたが、これは現在なら明らかにカンパイ事象だと思うのですが(タニノモスボローはこの不利もなく、普通にゲートを出ていました)、これが1つ内のタニノムーティエだったら、あっさりカンパイにしていたかもしれないが。
○1975年のゴール板通過から第1コーナーの、1コーナー側から撮影したカメラの映像が乱れ、のちにソフト化されたときには、この部分はカットされたり、観客の映像になったりしています。