武豊が手放し、「終わった馬」と囁かれた416kgの小さな暴君。しかし、一人の男・池添謙一からの電話が運命を変えた。日本中が震えた、競馬史に残る奇跡の復活劇を解説します。
■解説役:所長
オールド競馬ファン
昔の熱い競馬を知るメイの師匠。
■質問役:メイ
競馬初心者
明るく素直で、少しドジっ子な一面も。 視聴者の「分からない」を代弁し、所長の話に質問、共感する、孫娘のような競馬ファン初心者。
メイの由来:May(5月) 牝馬の女王を決める「優駿牝馬(オークス)」が開催される月からの命名。
【楽曲提供:株式会社ウナシ】
小さな最強。グランプリ連覇。 おいめ。お前は 416kmと聞いて何を想像する? 416km 競争場にしては軽すぎますよね。牛。いや、大きめのプロレスラー数人分でしょうか。今のサラブレッドだと 500km えの大型場も珍しくないですし。 そうじゃな。競馬の世界において馬格はエンジンのでかさだ。 小さいということはそれだけで弱いも脆ろいと見なされるハデ線の世界だがな。かつてその 400kmそこそこの小さな体1 つで日本競馬の常識と一族の運命を背負って戦い抜いた馬がいたんだ。 一族の運命ですか? ああ。もし彼が走らなければ母親は売却され、あの金色の暴君もこの世に生まれていなかっただろう。父が海外で見た夢を国内で叶え。 最強の除血をねじ伏せ、そして弟へとバトンをついだ小さな巨人。その名はドリームジャーニー。 ドリームジャーニー。オルフェイブルのお兄ちゃんですね。 そうだ。気象は猛獣。見た目は相苦しいぬいぐるみれどその魂は誰よりも大きかった。最初最強のグランプリホース。その愛と狂気の物語を心して聞くんだぞ。 母を救った416kgの衝撃。時計の針を 2004 年に戻そうか。舞台は北海道白尾町。車代コーポレーション白尾ファーム。ここで後に日本競馬の血統地図を塗り換える一刀の馬がう声をあげた。 いよいよ伝説の始まりですね。父ステーゴールド、母オリエンタルアート、いわゆる黄金配合の誕生ですね。 今でこそう呼ばれるが、当時は全く逆だ。 誕生した瞬間の空気は決してスター誕生を祝うような熱狂的なものではなかったらしい。 え、そうなんですか。 今じゃ考えられない評価ですけど、何か理由があったんでしょうか? 理由は明白。両親の評価が低かったからじゃ。父ステーゴールドは気少なんと馬体の小さで守母場としての期待値は道数。母現役時代のみで両結めくでは地味な存在だった。 なるほど。 エリート海道のサラブレッドとは全く違うスタートだったんですね。 しかも生まれた赤ん坊は両親の欠点を受け継いだかのようにあまりにも小さかった。母の影にすっぽりと隠れてしまうほどキシャでな。誰もこの小さな命が後に一族を救うとは夢にも思わなかったんじゃ。 小さすぎる牧場評価は最低ランク。生まれた時から小さかったんですね。 でも小さく産んで大きく育てるとも言いますし、元気なら問題ないのでは? 人間ならそう言えるが、競争場の世界はもっと渋谷だ。馬格がないというのはそれだけで知名的な判デになる。エンジンが小さい自動車で F1カーに挑むようなものだからな。 うわあ、それは厳しい。パワー不足で坂を登れないとか群で弾き飛ばされるリスクがあるってことですね。 その通りだ。実際白尾ファーム内での ドリームジャーニーの評価は同機の中でも 最低ランクに近かったそうだ。利入して からも一向に大きくならず関係者が絶した という記録も残る。最低ランクあんなに 強い馬になるのにプロでも見抜けないもの なんですね。唯一の希望は彼が人間を観察 する賢さと大型場にも向かっていく気の強 さを持っていたことか。 だが当時はそれさえも扱いにくいちびというマイナス評価になりかねない状況だったんだ。 初が走らなければ母と売却。 ここからがさらに残酷な現実の話だ。え、お前は競馬がビジネスでもあることを忘れてはいないか。結果を出せない血闘は容赦なく到されるのが生産会の置き手だ。 それは分かりますけど、まさかお母さんのオリエンタルアートに何かあったんですか? 当時母の評価は地に落ちていた。そこで牧場側はある非常な方針を固めていたと言われている。この初後、ジャーニーが走らなければ母と売却するとな。 ええ、母と売却。つまりジャーニー君が走らないとお母さんが牧場を追い出されちゃうってことですか? そうだ。 もし彼が勝利で終われば母は売られ、あのホルフェイブルもこの世に存在しなかったことになる。彼は生まれた瞬間から一族の損を背負わされていたんだ。 重すぎますよ。その運命本人は何も知らないのに自分の走りで未来を変えるしかなかったんですね。 ああ。だが神様は彼に大きさは与えなかったが代わりに一族を救う力を授けていたのかもしれん。 崖けっプチの状況で彼は池安都市級者に入する。 新馬不要ステークス連勝。小子小犬のような見た目で海進劇。いよいよ入ですね。環境が変わって馬体は少しは大きくなったんでしょうか? いや、相変わらずだ。多級者のスタッフからまるでポニーが入ってきたぞと笑われた逸話があるくらいだからな。担当の調教女子も最初は稽古機嫌で困ったと語っている。 ポニー扱いでもレースに行けば関係ないですよね。いざビュー戦はどうだったんですか? 2006年9 月の新潟新馬線パドックに現れた彼はつらな瞳でキョロキョロしてまるで子小子小犬のように相苦しかったそうだ。だがゲートが開いた瞬間その子犬が猛獣に変わる。 出ました。ギャップ萌え。スイッチが入ると人格。いや、馬格が変わるタイプですね。 道中は息を潜め直線に向くと小さな体を ゴムのように弾ませて急加速波いる大型 たちを置き去りにして鮮やかに 差し切り勝ちを納めたんだ。続く不要 ステークスも連勝し陣営も小さいけれど 心臓とバネが違うと驚いた。すごい見た目 を裏切る怪進劇 なんて言わせないですね。 海老名老正義騎氏もお父さんに似て根性が あると手応えを感じていた。 だが開心劇を続ける天才少年の前に最初の壁が立ち肌かる トスコ杯2歳ステークス デオクレクセと負債地方法王の壁 デビュー2 連勝で挑んだのが出世レース東京スポーツ杯 2 歳ステークスだこで彼は生涯突きまとうことになるある悪壁を露呈してしまう 悪壁気象があれすぎて暴走しちゃったとかですか? いや出遅れだゲートの中で落ち着 がなくタイミングが合わずに立ち遅れる。この日も大きく出遅れ、道中は最高峰からの競馬を強いられた。うん。短距離やマイル戦での出遅れは致名症になりますよね。ちゃんと追い上げられたんですか? 直線では猛然と追い込んで 3 着に入ったが勝った負債法には乾杯だった。能力はあるがレースが不器用すぎる。それが当時の評価だ。 もかしいですね。 次はいよいよG1 朝日杯フューチュリティステークスですよね。 ああ、舞台は中山競馬場。急な坂があり、パワーが必要とされるコースだ。 416km の小馬に中山の坂は登れない。出遅れたら終わりだ。そんな冷やかな声が飛び中、運命のゲートが開くことになる。 馬体重416kg。 G1市場再計量の挑戦者。 2006年12月10日朝日杯 ハイフューチュリティステークス中山競馬 場のパドックに一際は小さな馬が姿を表し た電光掲示板に表示された馬体重は 416km G1の部に立つ馬としてはあまりに頼り ない数字だった。416km 周りの馬たちは500km近くですよね。 まるで大人と子供の戦いじゃないですか? ああ、解説者たちも口を揃えていったよ。この体で中山の旧をかけ上がるのは厳しいだろうとな。単照は 6.8倍の2 番人気だったが、それは期待半分、不安半分といった数字だ。 やっぱり体が小さい不足って思われちゃうんですね。悔しいな。 しかも彼にはレオ遅れくせという爆弾がある。 中山マイルはスタート直後のポジション取りが重要だ。もし出遅れて後方に置かれれば短い直線だけで前の馬たちを捉えるのは物理的に不可能と言われていた。まさに絶対絶明の条件が揃っていたわけだ。 条件は最悪でもだからこそ燃えるんですよね。ファンの期待を背負っていざ本番です。 最高峰から大外一期のご望抜き ファンファーレが成り響きゲートが開いたその瞬間スタンドから悲鳴が上がった。あっと出遅れたドリームジャーニーはまたしてもタイミングが合わず最高峰からのスタートになってしまったんだ。 うわあ、やっちゃった。中山で最高峰なんてもう絶望的じゃないですか。 ああ、前を行くライバルたちは会長に飛ばしていく。 大隅大ローレルゲレー強力な先行場たちが レースを支配し、ジャーニーは画面にすら 映らないほど後ろだ。終わった。誰もが そう思った。だが3コーナーを過ぎたから エ海名正吉の動く。来るんですか?でも あんな後ろから届くわけないですよ。4 コーナーを回り直線。まだ彼は大外のはか 後方だ。しかしそこから伝説が始まった。 坂の下りで加速がつくと小さな体が弾丸のように伸びた。 1等また1 等倍速のような回転数で先行団を飲み込んでいく。 すごい足。まるでビデオの早送りを見てるみたい。 粘るローレルゲレーをゴール寸前で首捉えたところがゴール番だった。 14頭を5 ぼ抜き中山の旧半を最も小さな馬が最も早く駆け上がった瞬間だった。 海老名正吉軽く飛びましたね。リープの再来やりましたね。 416kmのG1 馬誕生現場の盛り上がりはどうだったんですか? 総然としていたよ。あんな位置から届くのか。なんだあの足はとど嫁めきが止まらなかった。勝利機種インタビューで海老名老な正義は興奮気味に効果だった。軽く飛びましたね。 軽く飛んだ。かっこいい表現ですね。 当時競馬会の英雄 ディープインパクトが 引退直前だった時期だ。空を飛ぶと形用されたディープになぞらえてエビナはディープインパクトみたいだとも口にした。それほどまでに常識外れのバネを感じたのじゃ。 G1 制覇により母オリエンタルアートの残留が決定。 めえ覚えているか?彼が背負っていたもう 1つの戦いを。 あ、発が走らなければお母さんごと売却されるって話ですね。 その通りだ。このG1 勝利によって母オリエンタルアートの評価は一変した。あんなすごい足を使う子を出せる繁殖馬を手放すわけにはいかないと牧場残留が即座に決定したんだ。 よかったジャーニー君。本当にお母さんを救ったんですね。 ああ、見事な親高校だ。 そしてこの残留があったからこそ数年後にこの母からオルフェイブルが生まれることになる。もしジャーニーがここで負けていれば金色の暴君もその後のステーゴールド系の繁栄も全て幻となって消えていたんだ。 日本競馬の歴史を変えた一緒だったんですね。震えてきました。 だが運命とは皮肉なものだ。頂点に立った彼を待っていたのは栄光の労働ではなく長く苦しい迷いの森だった。 3 歳になった彼を現実が打ちのめすことになる。 3 歳クラシックの壁。距離と左回りに泣く日々。年が明け 3 歳になったドリームジャーに当然ファンの期待はクラシック 3 巻へと向かうだがここで彼の弱点が次々と露呈し始めた。 弱点出遅れ癖以外にもあるんですか? まずは距離だ。殺は 8着。そして迎えた日本ダービー。 直線で猛然と追い込むもうオッカの歴史的勝利の影で 5着に破れた秋のき下も 5着。どうしてもあと 1歩が届かない。G 1 場なのにやっぱり体が小さいからスタミナが持たないんでしょうか? それもある。だがもっと深刻だったのは左回りが苦手という事実だ。 東京競馬場のような左回りのコースだと彼はそワそワしてまっすぐ走れず外へ逃げるようなし草を見せた。知名的じゃないですか?ダービーも天皇省秋も大レースは東京競馬場が多いのに。 そうなんだ。熟だったのか 2 歳で終わったのか。そんな心ない声も聞こえ始めた 4歳の春どん底の彼を救うために 1人の男が立ち上がる。 男の時期外と覚醒の予感。 G1場となったドリームジャーニーだが、 3歳シーズンは無感に終わった。そして 迎えた4歳春。ここからが本当の地獄だっ た。陣営は切れ味を活かすならマイルが いいのではと考えマイラーズカップ 安田記念と短い距離を使ってみた。だが 結果は14着10着と うわあ掲示板どころか2桁着順ですか?G 1場の影も形もないですね。 もはや天才少年のおかげは消えていた。競馬サークル内でも冷やかな声がさやかれ始めたよ。やっぱり熟だったんだ。体が小さいからコバのパワー勝負にはついていけないとな。 悔しいけど結果が出てないから言い返せないですね。このまま終わっちゃう馬も多い世界ですし。 ファンも半ば諦めかけていた。ドリジャはもう思い出の馬とね。 だがな、そんなどん底の暗闇みの中でたった 1 人だけ彼の中に眠る小さな種火を見つけた男がいたんだ。 安田記念代打池添一との初コンタクト。 2008年6 月安田記念。このレースで運命の歯車が回り始める。当時の主戦だった武豊孝騎種がお手馬の鈴鹿フェニックスに乗るためジャーニーに乗れなくなったんだ。 そこで代打として白の屋が立ったのが若き勝負池添一だった。 ここで来た池騎種でもあくまで代打だったんですね。 そう期待されていたわけじゃない。当時のジャーニーは 11 番人気数合わせの一等という扱いだ。池添自身もこれが最初で最後の気場になると思っていたかもしれない。 だがレースが終わった瞬間池添の脳りには衝撃が走っていた。 え、結果は住着ですよね。残拝なのに何を感じたんですか?住着配戦の中で池添が感じた強烈な手応え。 レースは乾杯だった。だが池添は直線で感じたんだ。 なんだこの背中のバネは? 400km そこそこの小さな体が追った瞬間にぐと沈み込み、爆発的なエネルギーを生み出そうとしていた。 腐ってもG1 場。やっぱりものが違ったんですね。 池添は直感した。この馬は終わっていない。乗り方 1 つで絶対にまた輝けると彼は権料室に戻ると興奮気味に関係者に伝えたそうだ。結果は出せませんでしたがすごい背中をしてますよ。 と プロにしか分からない感覚でも次はまた竹豊騎種に戻っちゃうんですよね。 本来ならな。だがここで競馬の神様がいたずらをする夏の小倉記念復帰予定だった豊が直前の気上停止処分で乗れなくなってしまったんだ。 視線竹豊かの上停止た小倉記念の安情。ええ、まさかのタイミングで気上停止。 じゃあ小倉記念の安情は空席になったんですか? そうだ。ドリームジャーニーという気象が荒くて扱いづらい。しかもスランプ中の馬誰が乗るんだと中に浮きかけた。そのニュースを聞いていてもいいられなくなった男がいた。 まさか池添騎種。 そのままさかだ。池添は当時函館競馬場での気場予定が入っていた。 だが彼はそのスケジュールをキャンセルしてでもどうしてもジャーニーに乗りたかった。彼は携帯電話を取り出し安都市長教師に連絡を入れたんだ。 俺に乗せてくれ。池添一運命の電話。 池添は理系長教師に直談パした。先生、ジャーニーの安情。まだ決まってないなら僕に乗せてください。あの馬はまだ終わってません。僕なら勝たせられます。 暑い。 自分から売り込みに行ったんですね。俺に乗せてくれなんてまるでドラマみたい。 イ氏もその熱意に打たれた。そこまで言うならけ一に任せようと。こうして小倉記念でのコンビ再決成が決まったんだ。 運命の再開。でもこれでもしまけたら池添騎士も口だけかって言われちゃいますよね。プレッシャーすごくないですか? ああ、排水の人だ。 だが男が惚れた馬のために命をかけた時奇跡は起きる。真夏の小倉競馬場 1 年ぶりの勝利を目指して愛と狂気のコンビがいよいよ指導するぞ。 小倉記念後方一期で 1年ぶりの勝利。 2008年8月3 日小倉記念池添一は自ら掴み取ったチャンスの安情にいた。彼は腹をくっていた。中途半端な競馬はしない。 この馬の武器はあの爆発的な末やしだけだと一 発勝負に出たんですね。でも小倉競馬場って直線が短いんじゃなかったでしたっけ?追い込み馬には不利なんじゃ? 常識的にはな。だが今の 2 人には関係なかった。老中はじっくりと後方待機。そして 3 コーナーから池添の手が動く。池ジャーニー。その合図に答え小さな体が唸りをあげた。 来た来た。まくり一発。 大外から前頭を飲み込むような勢いで直線一期。逃げる大震ングローを並ぶ間もなく差し切り、なんと最後は流す余裕さえ見せてゴールイン。約 1 年ぶり長い長いトンネルを抜けた瞬間だった。 やった。時期してまで乗った会がありましたね。池添騎士の目は間違ってなかった。 ああ、レース5。 池添は誇らしげだったよ。やっぱり走る馬です。 僕を信じて載せてくれた関係者に感謝したいとな。ここから名コンビの開心劇が始まる。 朝日チャレンジカップも制覇。池添との相性は抜群。 勢いは止まらない。続く 9 月の朝日チャレンジカップでも彼らは強かった。ここでも後方から鋭く伸びて解消。重賞 2連勝だ。 完全復活ですね。 どうして池騎種だとこんなに走るようになったんですか?相性がいいんでしょうか? 波長が合うという表現が 1 番しっくり来るかもしれん。ドリームジャーニーは気象が荒く、プライドが高い。池添一もまた勝負となれば誰よりも熱く強気なジョッキーだ。俺についてこいと強引に引っ張るのではなく、お前の力を見せてみろと 挑発しつつ信頼する。 そんな男同士のコミュニケーションがジャーニーの闘争心に火をつけたんだろう。 なるほど。似た物同士の共鳴ってやつですね。なんかかっこいいな。天皇省秋魚かダスカの伝説の叩き合いに加われず。 重症連勝で勢いに乗った陣営は秋の天皇省へと駒を進める。だがここで彼らは時代の壁に跳ね返されることになる。 この年の天皇省秋を覚えているか? えっと、ウォッカとダイワスカーレットのあのすごい写真判定のレースですか? そうだ。2cm 差の決着と言われた競馬に残る伝説の名勝負だ。だがその歴史的瞬間の後ろでドリームジャーニーは何もできず 20着に破れていた。 え、10着?練習中だったのに。 左回りの東京コースという弱点もあったが、それ以上に前の 2 頭が強すぎた。次元が違う戦いを見せつけられ、かの外に置かれたんだ。池添も唇を噛んだ。このままじゃ歴史の脇役で終わってしまうとな。 悔しい。主役の座はやっぱりあの 2 頭なんですね。所長だが転んでもただでは起きないのがこのコンビだ。 彼らは年末の大一番である適正を見つけ出す。有馬記念 4着検討への適正を証明。 2008 年有マ記念勝ったのはダイワスカーレット。 37 年ぶりの牝馬制覇という快去に湧く中山競馬場でドリームジャーニーはひっそりとしかし確実に爪跡を残していた。 結果はどうだったんですか? 4 着だ。4 着。 馬券にも絡んでないし微妙な結果のような。 いや、この4 着には大きな意味があった。小回りの中山コース。荒れた冬のバ、そしてコーナーが 6 回あるトリッキーな展開。武器用だと言われてきた彼がここでは水を得た魚のようにスムーズに立ち回り、最後は強烈な足で追い込んでいたんだ。 あ、そういえば朝日牌を勝ったのも仲山でしたよね。 その通り。池添は確信した。 こいつは右回りの小回りコースなら G1 でも通用する。来年のグランプリ宝塚記念有記念は勝負になるぞとな。この配線が翌年の栄光への不責となったんだ。 5 歳春陣営が感じた本格家の気配 年が明けドリームジャーニーは 5 歳になった競争としての充実機を迎える年齢だ。陣営は彼の変化を感じ取っていた。 どんな変化ですか?もっとムキムキになったとか? 体は相変わらず小さいまだが精神面が違った。長教師は言ったよ。以前のような子供っぽい無駄な動きが減って王者の風格が出てきたとな。 精神的な成長。審議体が整ったってことですね。 ああ。そして迎えた春の大阪杯。ここで彼は前年のダービーバリープスカイと激突する。 この一戦こそが彼が最強の小バネと覚醒する運命の分岐点となるんだ。 父恵ぐ夢の旅 2009年4月5日3 系大阪杯。このレースがドリームジャーニーの罵を決定付ける運命の分岐点となった。 G2の大阪杯がですか? G1レースの勝利よりも重要なんですか? ああ、意味合いとしてはな。相手は前年のダービーバリークスカイだ。 NHKマイルカップの変速2 巻を達成した現役最強クラスのサだぞ。単賞ウッズはディープスカイが 1 番人気。ジャーニーは挑戦者の立場だった。 ダービーバ vs日杯は世代を超えた対決ですね。 池添一は腹を決めていた。ディープスカイだけをマークする道中はライバルの背後護霊のようにぴったりと張り付きプレッシャーをかけ続けた。 そして直線に抜け出したディープスカイに外からジャーニーが並びかける。 一気打ちだ。 馬体を合わせ激しい叩き合いだが最後はジャーニーの執が勝った首でダービーバをねじ伏せたんだ。 すごい。最強世代のダービーバに勝っちゃった。これはもう完全復活と言っていいですよね。競り勝った瞬間ジャーニーの目の色が変わった。 この勝利は単なる一勝以上の価値があった。 理系長教師はレース後の合を見て震えたそうだ。ジャーニーの目の色が変わったと。 目の色が変わった。 どういうことですか? 馬にも核の意識がある。自分より強いと思っていた相手を力でねじ伏せたことで俺が 1 番強いんだという絶対的な自信が芽えたんだ。それまでの彼はどこか村っけのある天才少年だった。だが日から彼は王者のメンタルを手に入れたんだよ。 なるほど。 心が怪物に進化したんですね。もう誰にも止められないかも。 その地震は未知の領域への挑戦をも可能にした。実装陣営はあえて過酷な条件を選んだ。距離 3200m。 天王省春だ。 天皇省距離不安節を覆返す 3着激走。A3200m ジャーニーっても小さいしスタミナ不安説がありましたよね。き証でも負けてますし。 ああ、常識的には無謀な挑戦だ。距離が持つわけがない。無駄遣いだという批判もあった。だが覚醒した彼には関係なかった。池添は折り合いさえつけば持つと信じ、道中は死んだふりのように足を貯めた。 ドキドキします。長い長い直線を乗り切れるのか。 結果は3 着。勝つことはできなかったが得意ではない長距離で波いるステイヤーたちと互角に渡り合ったんだ。 すごい。苦手な条件でも3 着に来た。本当に強くなってる。 この激走で証明されたのは充実ぶりだ。今のジャーニーならどこでも戦える。そして季節は 6 月。彼ら一族にとって因縁の季節がやってくる。 宝塚記念父ステーゴールドが勝てなかった国内 G1。6 月28 日宝塚記念上半期の早決算となるグランプリレースだ。このレースには特別な意味があった。 父ステーゴールドの現役時代を覚えているか? はい。なかなか勝てなくてシルバーコレクターって呼ばれてましたよね。 そうだ。ステーゴールドは引退レースの香港で G1を勝ったが、ついに日本国内の G1 には手が届かなかった。特に宝塚記念は 4着、2着、4着。あと1 歩で涙を飲んだ陰縁の舞台なんだ。 お父さんの忘れ物。それを息子が取り返しに来たんですね。 しかもその日は偶然にも父の日が含まれる 6 月。親父が取れなかったタイトルを俺が取る。そんなドラマのようなシチュエーションでゲートが開いた。相手はまたしてもあのディープスカイだ。 息子が父に捧げた涙のプレゼント。 レースは桜メガワンダーやリープスカイが先行する展開。池添は中段でじっと爪を解いでた。親父ステーゴールド譲りの勝負根性を見せてやれ。 4 コーナー池添のゴサインにジャーニーが弾けた。 いった。すごい手応え。 一瞬でライバルたちを置き去りにする黄金の末やしディープスカイを子供扱いして最後は 1馬3/4 差の圧勝。ゴール版を駆け抜けた瞬間実況アナウンサーが叫んだドリームジャーニー。父の果たせなかった夢国内 G1制覇。 うう。 お父さん見てますか?息子さんがやりましたよ。 池添一にとっても池安都市長教師にとってもこれが初めてのコバ G1 タイトルだった。ウイナーズサークルで池添はほらしげに空を見上げた。まるで天国の父に報告するかのように。だが名誉感動するのはまだ早い。夢の旅は年末の有間記念で伝説になる。立ち肌かるのは時代最強の除ブエナビスタだ。 黒オールカマー 59kgを背負わされる試練の始まり 父の悲願を叶えともに古場の頂点に立ったドリームジャーニーだが王者には金料という新たな敵が立ちかる秋戦のオールカマー彼にせられた重さは 59kgだった。 59kg420km しかない小さな体にそんな重りを背負うんですか?他の馬よりずっと重いなんて不公平すぎます。 それが強い馬の宿命だ。レースでは中山の 鬼、祭り田ごっこ相手に2着と検討したが ゴール前でいつもほどの切れ味が出なかっ た。続く天皇賞は苦手な左回りと展開ので 6着。やっぱりジャーニーは終わったのか 。そんな声も聞こえる中彼はファンに選ば れて年末の大一番へ向かう。 登場有記念ファン投票 4位の指示 2009年12月27日第54 回有記念このレースでドリームジャーニーはファン投票 4位に選出された。特票数は 8万4508票。 すごいみんな待ってたんですね。 1 度は終わったと思われた小さな巨人が復活してグランプリに帰ってくるのを。 ああ、中山のあいつならなんかやってくれる。 そんなファンの期待、ロマンが彼を 1 番枠に押し上げた。だが相手は兄弟すぎた。単照 1番人気は3 歳牝馬のブエナビスタ。この年の王賞オークスを制した文字通りの怪物少女が 出た。ブエナビスタ。あの馬めちゃくちゃ強かったですよね。しかも 3歳牝馬だから金料が軽いんじゃ。 その通り。ブエナビスタは 53km。対するジャーニーは57km、 その差は4km。 常識で考えればこの判手差をひっくり返すのは不可能に近いと言われていた。 女王ブエナビスタ立ち肌かる最強の 3歳牝馬。 レース前ブエナビスタ陣営は地震満々だった。普通に回ってくれば勝てる。誰もがそう思った。ゲートが開くとリーチザクラウンが引っ張るハイペースな展開。 ブエナビスタは中段の絶好位につけ、横山弘も勝てる手応えを感じていた。 完璧なレース運び。 ジャーニーはどうしてたんですか? 池添一は腹をくくっていた。ブエナより前で競馬をしても勝てない。ギリギリまで貯めて一瞬のキれにかける。道中は後方待機。 4 コーナーでブエナビスタが動き出した時、その背後から音もなく忍びよる影があった。 来た。忍びよる影。 激突直線大外ブエナをねじ伏せた黄金の回転力 直線を向きブエナビスタが戦闘に立つ勝った場内の誰もがそう確信した瞬間だ外から何か黒い塊が飛んできた。 ジャーニーだ。 ジャーニーだ。ジャーニーだ。夢への旅だ。実況アナウンサーが絶叫する。ブエナビスタも必死に抵抗するが勢いが違う。 4kmの 判デさなんて関係ない。どけ。俺が王者だと言わんばかりの気迫で最強を外からねじ伏せた。 すごい。あのブエナビスタを力でねじ伏せた。鳥肌が止まりません。異業史上最量瞬グランプリ池添の男泣き 半審査をつけてゴールイン市場六目そして市場再計量での瞬グランプリ達成だ。 ゴール直後、池添一はで左手を高く突き上げ、そして男泣きした。 池添騎種泣いてたんですね。プレッシャーすごかったんでしょうね。 勝利インタビューで彼は涙で語ったよ。この馬のことは僕が 1 番分かっているつもりだった。勝つことしか頭になかったと自分を極限まで追い込み相を信じ抜いた男の涙。 それはドリームジャーニーという物語が最高調に達した瞬間だった。だがな、目山が高ければ高いほど谷もまた深い。この栄光の裏で小さな体は悲鳴を上げ始めていたんだ。 救説の悲鳴と最後の首振り。 2010年ドリームジャーニーは 6 歳になった王者として迎えた新シーズンだがここから彼を待っていたのは目に見えない敵との戦いだった。 敵、新しいライバルが出てきたんですか? いや、もっと厄介な敵だ。金料だよ。 G1を3勝した実績場には劣戦、 G2 などでトップハデがせられる。その重さは 59kg。 59km有間記念が57km でしたからさらに2kg増えるんですね。 高が2kgと思う中馬体重 500km の大型場ならまだしもジャーニーは 420km台しかない。 自分よりはかにでかい馬たちが 56kmや57km で走る中、最も小さい彼が最も重い荷物を背負わされる。これは物理的に彼の自慢である背中のバネを殺す行為だった。 不公平すぎます。小さな体で頑張って勝ったのにその罰みたいに重くされるなんて。 指導線の京都記念続く大阪杯。彼は必死に走ったがどちらも 3着に破れた。池添も唇を噛んだよ。 59kmがいている。最後の人伸びが効か ないとな。そしてこの無理な負担がついに 鉄の馬を壊してしまう。大阪杯の 接無事コレメ の彼が初めて壊れた。大阪杯 に激進が走ったジャーニーの左林に熱と 晴れが見つかったんだ。診断結果は旧節。 怪我。今までずっと無事だったのに。 ああ、無敵の鉄砲小僧と呼ばれ、どんな激闘の後でもケろっとしていた彼が初めてあげた悲鳴だった。つなぎの人体が炎症を起こしていたんだ。重い近を背負って硬いバを全力で走り続けた大償だ。 かわいそうです。もう十分頑張ったんだから休ませてあげて欲しいです。 陣営も春の天皇省は回避させた。 だがファン投票で選ばれる宝塚記念にはファンの期待がかかっている。彼らはギリギリの判断を迫られることになった。 休み明けの宝塚記念 4着。館長手前の苦しい走り。 数ヶ月の給養を挟み、ぶっつけ本番で挑んだ宝塚記念。長教師は懸命に仕上げたが、正直なところ官長とは言えなかった。それでもジャーニーは出走した。 大丈夫なんでしょうか。無理して走って。 また怪我が悪化したら レースでは中山フェスタ同じステーゴールドサンクが優勝する中ニーは 4 着に破れた。必死に追い込んだが全盛紀のような弾ける足は見られなかった。池添はレース後コメントを絞り出した。力は出し切ってくれた。でもその言葉の裏には全盛紀の彼なら勝てていたという悔しさがに滲んでいたよ。 痛みと共にあのさっき立った闘争心が消えていく。 秋になっても歯車は狂ったままだった。ボールカマーでも 59kmを背負わされ4 着。勝てない日々が続く中で彼の中で決定的な変化が起きていた。 変化?怪我の影響ですか? 肉体的な痛みだけじゃない。精神心が魔してしまったんだ。あれだけ殺意を覚えると言われるほど荒々らしくパドックでもらついていた彼が大なしくなってしまった。 え、猛獣が牙を抜かれちゃったんですか? 走っても走っても背中は重いし足は痛い。そんな経験が彼喜びと逃争心を奪っていったのかもしれん。そして迎えた年末の有馬記念で決定的な瞬間が訪れる。 有馬記念13着初めての大敗北。 2010 年有間記念彼はまだ終わっていなかった。 ファン投票で上位に選ばれ、単賞 4 番人気グランプリ男の復活を信じるファンが大勢いたんだ。だが結果は残酷だった。 どうだったんですか?13 着生涯初の大敗北だ。見場もなく軍に沈んだレース後の彼はかつてないほど疲労していたという。 うう。あの強かったジャーニー君がボロボロに 池添一は後に涙ながらに語っている。 あの時もっと早く引退させてあげていれば よかった。申し訳ないことをしたと。だが 物語はここで終わらない。彼にはまだ最後 にファンへ伝えなければならない。 メッセージが残されていたんだ。 小さな巨人の最後のパフォーマンスだ。7 歳杯7着陣営が下した決断。 年が明け2011年ドリームジャーニー は7歳になった。陣営はもう1 度だけと復活を聞して大阪杯へと送り出した。だがかつてのような唸る末足はもう戻らなかった。 結果はどうだったんですか? 7 着拝ではないが勝ち負けには加われない。そして 6月の宝塚記念 10 着レース後池安都市長教師は静かにしかしと言った逃争心がなくなってしまった。これ以上彼を走らせるわけにはいかない。 正式な引退発表だった。 ついにこの時が来ちゃったんですね。悲しいけどほっとした気持ちもあります。もう痛い思いをしなくていいんだって。 ああ、多くのファンも同じ気持ちだったろう。小さな体で本当によく頑張った。ありがとうとね。そして 9 月札幌競馬場で引退式が行われることになった。 引退式。札幌競馬場。雨の中に残ったくのファン。 2011年9月19 日札幌競馬場肉の小雨メ模様だった最終レース終了後のセレモニーだというのにスタンドにはびっしりとファンが残っていた。 みんな最後のお別れを言いたかったんですね。愛されてるな。 パドックに彼が姿を表すとなりのような拍手が起きた。関係者はその光景を見て涙んでいたそうだ。長教師はスピーチで彼には多くのことを学ばせてもらった。 弟のオルフェイブルが活躍できているのも兄である彼のおかげですと感謝を述べた。 弟へのバトンタッチ。自分はボロボロになるまで戦って弟に道を譲るなんて泣けてきます。 そしてクライマックス。 俺はまだ元気だぞ。現役時と同じ仕草に涙。 彼は立ち止まると観客席に向かって何度も首を大きく盾に振ったんだ。 ブ分と力強く 首を振る。それってどういう意味なんですか? 関係者は涙を拭いながら教えてくれた。あれは彼が好調な時によくやる仕草なんだと。もうレースは走れないかもしれない。体はボロボロかもしれない。それでも彼はファンに向かってアピールしたんだ。俺はまだ元気だぞ。応援ありがとうな。てな。 うわあん号泣最後までなんてかっこいい馬なんですか?ファンサービスまで完璧じゃないですか?会場中が涙と笑顔に包まれた最高のフィナーレだった。だが物語にはまだ続きがある。その日の夜池添一が自身のブログに残した言葉だ。 池添ブログ君との旅は僕の誇りです。 全ての行事が終わり、静寂静寂に包まれた夜、池添はブログにこう綴った。 ありがとう。ドリームジャーニー。君との旅は僕の誇りです。 君との旅は僕の誇り。 ドリームジャーニー。夢の旅という名前にこれ以上ない答えを出した言葉だ。 414km の安田記念からグランプリ連覇。そして引退でその背中で共に戦った男にしか言えない万感の思いが込められている。 本当に素敵なコンビでしたね。 2 人の旅を見せてもらえて私たちも幸せでした。 だが名誉旅はここでは終わらない。彼が灯した日は次の世代へと燃え広がっていく。 受け継がれる狂器と愛。 引退して守し守なったドリームジャーニーだが、その強烈な個性は相変わらずだった。むしろ磨きがかかったと言ってもいい。 現役時代は殺意を覚えるなんて言われてましたけど、少しは丸くなったんですか? とんでもない。相変わらずの猛じぶりだ。担当スタッフが掃除をしているといきなりガブりと腕を噛んでくる。スタッフが痛がって振り向くと彼は満足に首を振ってどうだ?俺は強いだろ?褒めろよとアピールしてくるそうだ。 うわあ。痛いのは勘弁して欲しいですけどかまってちゃんところは可愛いですね。 主の池添一も言っていたよ。彼はツんデレ なんです。基本は凶暴だけど、心を許した 相手には不器用な愛を見せるとな。 そんな彼の実力を早くから見抜いていた天才騎種がもう 1人いた。 暗カツびっくりするほど小さいが走る。 暗勝こと安藤克元騎種だ。彼はジャーニーがデビューする前調京で 1 度だけまたがったことがある。その時の感想が面白い。びっくりするくらい小さかった。乗った瞬間大丈夫かこれと思ったそうだ。 名主暗かさんでも最初は不安になるサイズだったんですね。 だが走らせてみて評価は一変した。小さい けど背中の使い方がいい。これは面白い 存在になるぞと予言していたんだ。天才は 天才を知るというやつだな。だがその 小さすぎる体は守場としての彼を苦しめる ことになる。小さすぎて種付けに苦労関係 者の苦悩場の仕事は牝馬に種けをすること だ。 だが相手の牝馬はジャーニーよりはかに大きいことが多い。 あ、サイズ差がありすぎると届かないってことですか? そういうことだ。物理的に種付けが難しく牧場スタッフは踏み台を使ったり斜面を利用したりと涙しい工夫を重ねたそうだ。それでも彼は持ち前の魔剣機で果間に挑んでいったところがそのやる気が空回りしてとんでもない事故が起きる。 元気すぎて種付け中に骨折。やはりも銃。 2016 年の種付けシーズン中、彼は張り切りすぎてバランスを崩し、なんと足を骨折してしまったんだ。 ええ、レース中の怪我でなく種付け中に骨折。元気すぎるにも程がありますよ。 幸い命に別情はなかったが、しばらく容をよ儀なくされた。関係者もやはりこの血闘はと苦笑いするしかなかったそうだ。 そんなドタバタな守場生活だったが、彼はたった 1度のチャンスから奇跡を起こす。 毒馬マンデラとの配合サイズ差を無視した黄金配合 2.0。 ある時、ドイツから輸入された大型牝馬との配合が決まった。マンデラは骨太で大柄。対するジャーニーは小柄。常識的にはでこぼコすぎて合わないとされる組み合わせだ。 どうしてそんな無茶な配合をしたんですか? 生産者の執だ。ステーゴールドの地には欧州の重厚な血が合うはずだ。かつてオルフェーブルが成功したようにサイズ差をど返ししてでも血の爆発力にかけたんだ。そして生まれたのが世界旅行者だ。 ベルトライゼンで世界旅行者の誕生と活躍。 その馬の名はベルトライゼンでドイツ語で世界旅行者という意味だ。 父の夢の旅を受け継ぐ名前だ。 素敵な名前。お父さんの夢が続いていくんですね。 ベルトライゼンでは父譲りの勝負根性と母譲りの有大な体を合わせ持っていた。ダービーで 3着し、怪我を乗り越えて重症を 2 勝。父ドリームジャーニーの名を令和の競馬会にとかせたんだ。そして何より彼が残した最大の鉱石は弟の存在だ。 前提オルフェイブルとの比較。 第1 章で話した通り、ジャーニーが母を救ったからこそ前提オルフェイブルが生まれた。この兄弟顔や走りは似ているが性格は対象的だと言われている。 どっちも暴君ってイメージですけど違うんですか? 池添一種への態度が真逆なんだ。 2023 年池添が久しぶりに彼らに会いに行った時のことだ。 兄はツんデレ、弟はデレデレ。池添への態度の違い。 弟のオルフェイブルは池添を見るなり錯越しに寄ってきて顔をすりスりして甘えまくった。デレデレだ。 ええ、現役時代は池添さんを振り落としたりしてたのに引退したら甘望。 一方兄のドリームジャーニーは池添が近づくと前足で地面をガンガン叩いて俺を忘れるな。 もっと構えと威嚇。完全なツンデレが。 あはは。お兄ちゃんの方がプライド高いんですね。どっちも池添さんが大好きってことは伝わってきます。父ステーゴールドとの威嚇合戦。血は争えない。 さらに遡れば父ステーゴールドとの対面エピソードもある。引退直後。 報北地で父と息子が顔を合わせた感動の対面かと思いきや親父が非ヒと立ち上がって威嚇すれば息子も負けと立ち上がって応戦したそうだ。 親子喧嘩しは争えないですね。どこまでも激しくて熱い一族なんですね。 416kg がこじ開けた扉。夢の旅は永遠に。 416km のデビュー戦。小さすぎて無理だと笑われた馬が母を救い、父の夢を叶え、弟の道を開いた。ドリームジャーニー。彼がこじ開けた扉の向こうに今の日本競馬の繁栄がある。 本当に小さな体にどれだけのドラマが詰まってたんだろう。 彼の夢の旅は子供たちや弟を通じてまだまだ続くんですね。 ああ、大きさなんて関係ない。大事なのは折れないハートだ。彼が教えてくれた勇気を胸に俺たちも旅を続けようじゃないか。 皆さんはこのジャーニーの物語感じましたか?皆さんの心に残ったジャーニーの思い出も是非コメント欄で教えてください。 これからももっと競馬の深い魅力を皆さん と一緒に掘り下げていきたいです。なので 高評価とチャンネル登録で応援して いただけると嬉しいです。次回の物語で またお会いしましょう。
ジャーニーもオルフェも池添騎手と会った後は機嫌が良いそうだww
なおヴェルトライゼンデは引退後すぐにケガで予・・・・